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ここからができるまで

オフィシャルHP

ご挨拶

この度は、WEBサイトをご覧頂き誠にありがとうございます。
当施設は、滋賀県長浜市の北部、旧余呉町にあります。
不登校児童生徒のための寄宿制自立支援施設です。
廃校になった木造校舎を利用し、自然豊かな土地で、子どもたちの元気と自信、生きる勇気を
取り戻す活動を行っております。

私どもは、「自立支援施設を作り、一人でも二人でも子どもたちを元気にしたい」という想いから、
当施設を設立いたしました。

旧余呉町の元町長さんはじめ、様々な人たちに助けていただき、当施設は歩み始めました。
このWEBサイトは当施設「ここから」ができるまでの道のりや環境整備、生活、活動の様子を
ブログ形式に残しております。

笑って・泣いて・楽しんで・驚いた日々を赤裸々に書き残しておりますので、ぜひご覧ください。

ここからのはじまり

  • 1-10話
  • 11-20話
  • 21-30話
  • 31-40話
  • 41-50話
  • 51-52話

はじまりは… 2007/2/23(金) 午後 0:14

今から5年前、不登校の子どもたちの適応指導教室のカウンセラーと指導者として、野外活動の下見に余呉町(滋賀県)に来たとき、初めてこの学校に出会ったのでした。 余呉町立丹生小学校…のどかな自然の中、屈託のない無邪気な子どもの声が響いていました。良いなあこの小学校、薄いピンクの木造校舎で、後ろに山、校舎に抱かれたような運動場、道を挟んでプールと川、ぐるりと取り巻く山々等…絵に描いたようなところで、私の心をとりこにしたのでした。
夢のまた夢ですが、もし私に力と時間があり、許されるならば、こんなところで不登校の子どもたちを元気にする学校がやってみたいなあ~と思ったものです。
私が12年適応指導に当たってきて、一番不登校の子どもたちを元気にしていく効果のある活動は野外活動での自然とのふれあいと、親から離れた場所で寝泊りをともにし、自分のことは自分でしなければならない宿泊活動でした。
もしやるなら、公的な機関では出来ない寄宿を伴った不登校児童生徒のための学校です

つれあいが逝きました…2007/2/24(土) 午前 10:08

夢をどこか自分の心の片隅に追いやって、カウンセラーをやっていたある日。
「明日は君の誕生日だね。ケーキ買ってこようか?」「どっちでもいいよ…」「昨日なすびを炊いておいたから冷蔵庫に入れておくよ」「うん…」近頃すれ違いの毎日で顔をお互いみることもなく、これが私たち夫婦の最後の言葉となりました。
朝、こんなやり取りをしていた私のもとに子どもから電話が…「かあさん、ちょっと今救急車が来てるから、すぐ帰ってきて!」…おばあさんの発作か?と思って帰ってみたら、もう冷たくなったつれあいでした。
私の誕生日の前の日に逝くなんて…でっかいプレゼントだよ…まったく!こんなプレゼントあり?
後から聞くと、このときに息子は私に全部告げれば動揺して交通事故でもおこしてしまうのではと思い詳しくは話さなかったそうで、ちょっと息子が大人になったのかなと思った瞬間でした。
あまりのあっけなさに唖然としてしまい、悲しいのか悲しくないのかもわからないままにいろいろな儀式をこなしていました。
健康オタクで人一倍体を大切にしていた人でした。わからんものです!
周りを見回せば、二人の子どもも大人になり自立してしまい…私はもう母としても妻・嫁としてもすることがなくなってしまっていて…どうしよう????って感じでした。

むむっ…ややっ…??そうそう、どっかに閉じ込めてあった夢のまた夢に挑戦してみてもいいかな?
そんなこんなで、夢のまた夢挑戦計画がスタートしたのです!

夢に向かって!2007/2/25(日) 午後 0:18

夢のまた夢とあきらめ、封印していたことが動きはじめました。
今の職場をやめて夢を実現しようと一人で考え始めたとき、私はとても力強い仲間がいました。この漠然とした夢を自分のものとして、一緒に仕事をやめて手伝うといってくれた人(事務局長)、「大丈夫!やりたいと思うのなら飛び込め!」と決断を促してくれた人(理事)、「実現するために出来ることなら何でも手伝う!」と言ってくれた人(IT部長)、「先生がやるんだったら手伝いに行くよ!」と言ってくれた人(保護者の方々)、「かあさんがやりたいように生きたら良い!」と言ってくれた人(息子たち)、「今までのがんばりは必ず報われるから、思い切って挑戦しなさい!そういうチャンスを死んだ人は作ってくれたのかもしれないよ!すごい誕生日プレゼントだよ!」と言ってくれた人(母)などです。 うれしかった…!わたしなんかにやれるのかなあ?
もう私には、何にもないと思っていた矢先だったので、これらの人の力があったおかげだと思います。
さて、なにからやるか?
そうそう、場所探しです。
土日はあちこちの田舎を回って、場所はないかと探し回りました。でもいかんせんこんなことはみんな生まれて初めてのことで、ましてやお金もない、夢だけが頼りの無謀な計画です。一長一短に見つかるはずがありません。
もうどこでもいいや!どこか田舎で少し大きな空き家はないか?
どうせやるなら、あの学校の近く夢の原点のそばでないかと探したのです!
そうして余呉で探すということにたどり着いたのです。

夢の場所探し!2007/2/26(月) 午後 3:48

余呉に場所を探し始めて、何ヶ月かがたったころ、
私の夢の原点である余呉の丹生小学校が平成16年度末で廃校となったそうです。あののどかな子どもたちの声が響いていた学校がなくなろうとしているなんて…かなしい!さびしいな!…いいものや昔懐かしいものはみんななくなっていく…なんて世の中なんだろう!古いものこそ大切にしなくてはいけないんじゃないのかな?誰か阻止できなかったのかなあと思いながら悔しい気持ちでその話を聞いていたのです。 ところが、その数日後降って沸いたような話が私に舞い込んできたのです。
知り合いの知り合いに紹介してもらった人が、私のしたい不登校の子どもたちの学校作りにいたく感動してくださって、まだまだつかえる丹生小学校・余呉小学校・片岡小学校が廃校となったから余呉町に頼んで貸してもらったらどうだろう…と言ってくださり町長まで紹介してくださったのです。
町長は、町民の同意はいるものの、教育の目的で使ってもらえるならば…と言ってくださったのです!
こんなことってある?私が夢のまた夢と思っていた学校ですよ!
さあ、どの小学校にする?…一も二もなく、もちろん丹生小学校ですよ!でしょ!でしょう!
もう、天にも昇るような気持ちで、後先のことも考えられずに突っ走っていくのみでした。
それから先がとてつもなく困難な道のりであるとも知らずに。

だめなの?2007/2/27(火) 午後 4:25

もう気持ちは夢に向かってまっしぐら!
目をつぶれば憧れから現実になろうとしている丹生小学校が、ブワ~ンと浮かんできて、知らず知らずのうちに顔がほころんでにた~にた~…
何日かたって、町長から電話!
やっぱり、小学校のような公的な施設は個人には貸すことは出来ない…ということでした。
がーん!どかーん!ぷしゅー……といった、夢が壊れていくような音が頭の中でしました。
どうやら、法人でないと貸すことは出来ないようで、あっけなく、ふくらんでいた夢の風船から一気に空気が漏れ、しぼんでいくような気分でした。
そうです!最初から小学校の校舎なんて…また一から探せば良いじゃん!やっぱりだめなの?そこをなんとかならないの?私の不登校の子どもを、元気にしたいって趣旨はわかってもらえたからいいのよ!やっぱ、夢は夢か?いろいろな考えが浮かんでは消え…
ちょっと待てよ?法人?法人って何?個人じゃなきゃいいんだよね!法人になりましょう!そうそう法人になればいいんだ!起き上がりこぼしがゆっくり立ち上がるように、またまた、やる気が沸いてきました。
人のためになることで仕事をしたいと思うのならNPO!そうNPO法人を立ち上げればいいんだ!
お金がなくても立ち上げることが出来る。でもどうやって?…
そこにまたまた、町長からの電話です。NPOの法人なら貸すことが出来るよ。県のNPO促進室に行ってごらん、電話かけておいてあげるから!…といってくださったのです!感謝!感謝! …早速次の日、県へ!
わたしたちの、NPO法人立ち上げのスタートとなりました!

名前をつけましょう!2007/3/1(木) 午後 0:48

早速次の日、県に行ってNPOの立ち上げ申請の仕方を教えてもらいました。
NPOの法人を立ち上げるには様々な約束があって、それをひとつずつ考え、条件をクリアしながら申請をだし、最低80日間のインターネット上の閲覧を経て許可されるものです。なが~い…
まず書類に書かなければいけない一番大切なものは、法人の名前なのです。そうそうまだ、夢のまた夢…という名前でしたっけ!
以前から、冗談で私の名前を入れて、「ここから」というのはどうだろうということでした。でもなんだか、喫茶店みたいにも聞こえるし…
名前を読んで何をしようとしているのかがわかったほうが良いよね!それに私たちの思いも見えたほうが良いよね!ということになり、悩みに悩んで「子ども自立の郷ウォームアップスクールここから」というとてつもなく長い名前に収まったのでした。
悩みを持った子どもや親が集い、そこで自分が生きていく力を養い、ウォーミングアップをして心もからだも温め、エネルギーを蓄えて、ここから新たな気持ちでスタートするという意味をこめて名づけました。
ここからという言葉の中には、…心からだから…心と身体は大切だから…個々からだから…ここから出発だから…子育て(個育て)…心育て…こころざし(志)育てから…という私たちの一番大切に考えるものを織り込んで出来上がった名前です。
法人印を作らなければならないとき、「なんちゅう長い名前!うちでは出来ません」と何軒ものはんこ屋さんに断られました。だって、あんな小さいはんこの中に「特定非営利活動法人子ども自立の郷ウォームアップスクールここから」と入れるんですから……

大切なこと…12007/3/3(土) 午後 0:01

一体なぜ、私がNPO子ども自立の郷ウォームアップスクールを立ち上げたいという気持ちになったのかというと、ブログの初めにも書きましたが、自分自身が12年間不登校の問題に取り組んで、カウンセリングや適応指導を通していろいろなことをやってきて、そのなかには大切なことがいくつかあることに気づいたからです。
①不登校の状態にもよりますが、人に対して疑心暗鬼になっている子どもや、保護者の安心していくことの出来る場所が必要です。
②その場所には、困ったとき本当に親身になって何時でも対応してくれる人が必要です。
③不登校の状態が長引いてきたとき、親子が少しお互いを…自分を…離れて見つめなおす時間と場所が必要です。
④親も子もあきらめず、目標や、願いを持つことが必要です。
⑤気持ちも身体もしっかり動かすことが大切です。
⑥自分のことは自分でやる、自分で決めるという力が大切です。
⑦いろいろな人と出会うことが大切です。(出会いは学校だけではありません)
⑧いろいろな体験をすることが大切です。
それらのことを通して自分に自信を取り戻し、自分らしく生きて行くことに納得させていくことが大切なんだと思っているのです。

近畿の雪国!2007/3/11(日) 午前 9:59

NPOの認証を待つ間、何度も何度も余呉へ見に行きました。休みの日には朝や昼、普通の日には夜、雨の日、風の日といろいろな時間にでかけては、丹生という土地をちょっとでも知りたくて、感じたくて…そうこうしている間に12月です!
(平成16年)雪が降ってきました。とてつもなく早い雪と多さに驚いて、さあ…丹生小学校はどんなだろうと見にきてびっくり………
オオーッ!ゆうに2メートルは積もっていて、聞きしに勝るものでした!
さすが近畿の雪国!
ただ、除雪はとてもしっかりされていて、路面がちゃんと出ていて、快適でした!
丹生に着いて小学校を探しますが道路からは高い学校の大屋根も見えず、すっごーい雪の塊でした!運動場の高鉄棒やうんてい、ジャングルジムの一番高いところも全部雪にうずまっていて、圧巻です!
ここへきて冬はこのスンゴーイ雪を生かして遊べるな…となんかうれしくなってきたものです。余呉に昔から住む人にすれば、この豪雪は厄介なものでしかないようですが、毎日この運動上にカマクラをひとつずつ作ってやる!と固く誓ったのでした!
町長からの電話…どうやな?この雪に恐れをなして、もう計画はやめにしたか? …いちどみたらもういやになるんとちがうか?さむいぞう!
私…いえいえ、今日も見てきましたが、ますますどうしても丹生小学校じゃないとだめになりました!

毎回、学校のそばまで行っては窓の外から校舎の中をのぞき、あ~はやく中に入りたい!廃校になり、息を潜めた学校からもなんか、呼ばれているような気にさえなっていました。

認証!ばんざい!2007/3/11(日) 午後 5:26

NPOの申請には複雑な書類がたくさんあり、見るもの聴くもの初めての言葉ばかりで四苦八苦しながら、県のNPO促進室の係りの人とメール交換をしながら、一から教えてもらい、やっとやっつけ、12月2日申請書を県に提出することが出来ました。
さあこれから、80日間の閲覧期間を待つのみです!

クリスマスの夜、星が降るような丹生小学校で、事務局長と二人、来年のクリスマス、この学校で迎えられるかな? …とはなしたり、もしここが貸してもらえなかったら、来年はないのか…と思ってみたりして、笑ってみたり、感極まってないてみたり…。
手を伸ばせば届くのでは?と思われるほど丹生小学校の夜空は、星が大きく、きらきらと輝いていました!

年が開け、平成18年、なが~い、なが~い閲覧期間を悶々として過ごし、ついに2月16日NPO認証がなされました!
イエーィ!やったあ~!晴れて「特定非営利活動法人子ども自立の郷ウォームアップスクールここから」たちあがりました!
長かった~!夢の第一歩歩き出しました!(ヨチヨチ歩きですが…)
いよいよ地元の人たちに説明をして、町の議会を通してもらって…4月から出発!!!!!!
ところがところが・・・そんな甘いもんじゃなかったのです!…ここからが長かったのだ!

学校の中は?2007/3/12(月) 午前 11:18

認証され、初めて学校の中を見せてもらうことになりました!
まだまだ雪がたくさん残る丹生小学校!
玄関は、雪に埋まっていて入れず、昇降口から入りました。シーン!…と静まり返って、とても寒く感じました。子どもがいたときは、きっと温かい雰囲気だったんだろうな…昔の卒業生のレリーフがあったり、かわいいドラえもんや、掲示物の数々…廃校の後つぶされてしまうはずだった校舎の中に取り残されたものたち…全部持っていかなかったの?取り壊される校舎と共に葬り去られる運命のものたち…さびしげで…哀れで…なんか涙が出そうだったのを思い出します。
廊下・学級・階段の木が全部やさしく角が取れ、薄びかりしていました。手すりには、きっと何人もの子どもが滑ったようなつるつるのところがあったり、きっと廊下を走っていたんだろうな「ろうかは走らない」とかいてある、部屋のいたるところに打ち付けてある釘の一つ一つにも、先生が子どものためにかなづちでとんとん打ったんだろうな…って、その姿がまぶたに浮かんできて、何年も何年もたくさんの人が思いを込めて毎日を送っていたこの場所、この校舎を私は借りて、また新たな命を吹き込むんだということのすごさに、身が引き締まる思いがしました。外から見ても大きな場所ですが、中に入ると部屋が職員室・校長室・保健室・1年・2年・3年・4年・5年・6年・社会科準備室・音楽室・家庭科室・調理室・図書室・理科室・理科準備室・購買室・ランチルーム・その他と大小合わせて19部屋もあり、どうやって使っていくか悩んでしまうほどでした。 ここに、かわいい子どもたちの声でいっぱいにして、元気のない子も元気に戻してやる!という意気込みで燃えていたのでした!でもでも…

絶体絶命…!2007/3/15(木) 午後 5:39

何もかもが順調よく動いているように思えました!後は地元の人に説明をして終わり! …ということで、町の総会に出ました!ここまでも何回となくいろいろな人に話したりしてきたこともあって、私たちがどういう思いを持ってこの事業を成し遂げようとしているかについて、話している間に、涙がこみ上げてきてしまいました!一応説明が終わった後、質問が出ました。まあ、経営は成り立つのか?とか、不登校の子どもにどうやって声をかけたら良いのか?とか、寄宿をして直すのなら、すめるようにするのか?とか、耐震は?火災については? ……地元の人にとっては、大切な思い出の場所です、当然心配なことではあります。しかし、中にはそんな事まで心配してくれなくても…ということなどもあり、ちょっと雲行きが怪しいなあ~と感じ始めたとき、一人の年配の男性から手が挙がり、「やろうとしていることはわかったが、丹生小学校を貸すのは反対や!他にも学校はあるし、そっちにしはったらいい!反対やから反対や!」といわれてしまったのです! ……ショックショック……ガラガラガッシャーンと夢が崩れていく音がしました!町長は、「一人でもこんなに反対している限り、進めるわけには行かないので、反対しているところに行ってわかってもらうしかないね!」と言われてしまいました!
4月には学校に入って…いろいろ準備して…と思っていたことがまったくゼロになってしまったのです!これって絶体絶命というやつか? ……ついにきたな……ガックリ………
もう打ちひしがれて、帰りの車で大泣きに泣きました!どうする?どうする?どうする?……
町長の言うとおり、「やっぱり地道に説得して歩くか!」という気持ちになるまで、何日もかかってしまったことはいうまでもありません!

バイバイ!公務員 2007/3/16(金) 午前 11:49

NPOの認証や町への説明会と新しい事業の準備に追われながら、私のなが~い公務員生活もクライマックスを迎えようとしていました。2月に幼稚園児殺害事件があり、その幼稚園の先生や保護者のケアーにものすごい時間をとられ、報告書の山と格闘しながら、カウンセラーとして関わってきた不登校の子どもや保護者との引継ぎや今後の方向性について話をしたり説明をしたり、次年度の予算や決算の締めをしたり・・・であわただしく、毎日深夜の1時2時まで勤務先ですごしていました。
そしてとうとう、3月31日……いよいよ退職です!
教育委員会へ最後の挨拶に…みんな反応は様々で、「なんでや!」「がんばってな」「いろいろあったな。ゆっくりし!」「ごくろうさんやったな」「まだ退職は、はやすぎる」「夢に向かって出発やな」「生活はどうするんや」…などなど
…そう、いろんなこといっぱいあった!そのつど一生懸命にやってきた!悔いはない!適応指導教室ももう私が抜けても大丈夫にしてきたし、この28年間教師としてもカウンセラーとしても全力で切り抜けてきた!少しさびしい気もするけど、もう後ろは振り向かない!…私には大きな事業が、今、絶体絶命の状態で控えているんですから!…そんな気持ちで、感慨や感傷に浸る暇もなく退職の幕が引かれたのです。 家に帰って、何冊もの手帳に目を通すと…ああ~このとき、このクライアントと話してたな~、この子は今元気で、大学生か…とか、ああ~このお母さんたいへんだったよな、よくがんばったなあ~…とか逃げ出した子がいたよなあ…たくさんの人に出会って別れて、泣いて笑って感動しての連続だった!バイバイ公務員生活!さあ、ここからは私の人生の二幕目がスタートです!だって私、理事長ですから!

反対やから反対って?2007/3/16(金) 午後 0:38

町の説明会で「反対やから反対!」といわれ、ガックリ落ち込んでいる私たちに追い討ちをかけるかのように、町長から電話「あれから、説得に僕一人で行ってきたが、やっぱりだめやった!何とかもう一度、説明の時間を設けるから…、そのとき不登校の子どもと親を一緒に連れてきてくれ」といわれ…頭に血が上りそうになった!なに~!不登校の子どもも親も見世物じゃな~い!つれては行かない!私たちは、そういう人たちを守って元気にするためにいるんだから!私たちだけで行こう!それでもだめなら、違うところ探そう!もう、ブチンブチンにキレまくって説明会に行きました。
「不登校の子どもって、暴れて大声出したりやんちゃするんとちがうか?鍵を閉めなあかんのか?畑を荒らしたりしないか?」って…恐竜じゃあるまいし…するわけないだろうが…そんなんできるくらいなら不登校にはなってないわ…と惨憺たるものでした!いかに不登校が理解されていないことか…ようっくわかりました!反対やから反対の意味…わけのわからないよそ者が、もっとわけのわからない不登校の子どもたちを集めて、何をやらかすのやら…ということだったのです!なんかむなしい…不登校の子どもも親も普通の人間です!皆さんもいろいろなことで悩んだり、動けなくなったことあるでしょう?…と話し、私たちの思いを一生懸命に訴えたのです。それでも、その会の席では返事をもらえず……後日また…ということでした!でも理解されないまま学校に入っても私たちが守ろうとしている子どもや親が傷つくのならば、あきらめてもっと他を探すべきなのか?いやいや、なんとしてでも理解してもらってここに入るのか?丹生小学校にこだわりすぎてるんじゃないのか?私たちのすることに絶対、丹生小学校が必要なんだ!…どうしよう…と頭の中をいろいろな思いが走り回って、大運動会状態だったのです。

出発の場所!2007/3/17(土) 午後 0:04

学校を貸してもらうための説明会も不調に終わり、長期戦を覚悟しなければならない!どうせやるなら、離れたところからいくらやっていても、私たちを知ってもらうことが出来ない!まず、私たちがいつも見えるところで生活をし、覚悟を見てもらいたい…と知り合いを通じて丹生に一軒家を借りました!そこは何年も住んでいないので、軒は雪で折れているし、おトイレも昔のボチョン!というやつです。とりあえずご好意で貸してもらったものです。もっと他にも空き家はあるけど、よそ者には貸せないということでそこしかなかったのです。やっぱり壁は厚い!!!
さあ、いざ!水道の止水栓をあけてもらったとたん、この冬の寒さが原因で水があちこちから噴出しました!おー、すごい!なんか先が思いやられるような…事務局長が近くのホームセンターに走り、水道管の修理です。さあ、いざなかへ!やっぱりホコリもすごい!それよりも、部屋のあちこちに散らばったカメムシの山!この世の中で怖いものは数々あれど、虫が大の苦手な私です!あっちでウオー!こっちでギャアー!の連続です!歩くとミシッ!トイレを除くと引き込まれそうな漆黒の闇!(トイレには泣かされました!)おーおー!!掃除のし甲斐があるぞ!ここが私たちの原点になる場所だ!なかなかレトロで良いじゃん!(屋根が落ちそうだが)落ちる前には学校に入るぞ!…と、から元気を出しつつ、よかったよかった!何とかなるさ!とみんなに励まされつつ、ここに住む決心をしたのでした!
今まで関わった保護者たちが駆けつけてくれ、大掃除!!本当に感謝です!!私は、どこから触っていいものかうろうろしている間に、なんとピカピカの状態に!みんなすごい!(ちゃんと主婦してたんだなあ~)…私はこういう、汚い・暗い・じめじめ・レトロな状態に入ったとき身動きが取れなかった!自分の無力さとなさけなさにをガックリとしてしまいました!

お引越し!2007/3/17(土) 午後 2:50

よそ者は入れないっていう感じに逆らってご好意で貸していただいた家に、事務局長が引越しを開始しました!私たちはお金があまりないので、出来るだけ私たちの手でお引越しです!仲間の会社のトラックを終業してから借りて何日にもわたって、移動しました。夜の9時か10時くらいから積み込んで、約1時間移動して、積みおろしたころには、たいてい夜中の12時か1時…地元の人からしたら、変な集団ですよね!知らない人が見たら、夜逃げか?窃盗団か?ってかんじですよね!
そんなこんなで、引越しが終了し、わたしも自宅に週一度帰り、丹生暮らしが始まりました。
一番困ったのは、おトイレです。みんなはこういうおトイレの経験者で、何とか我慢して使っていたのですが、わたしはどうしても入れず、近くの町の「茶碗祭りの館」という郷土館の外にある公衆トイレに走っていたのです。なるべく外に行ったときにはおトイレをしていたのです。
ところがところが、ある日、昨夜寝るのが遅かったので、最後のおトイレにいかなかったのです。朝急に、もよおしてきて、さあ~たいへん!8時です。私たちにとっては朝ですが、丹生の人たちにとっては、朝ではなくもう日常の生活がとっくに始まっている時間です!服を着替えないと…化粧してない…髪がぐちゃぐちゃ…どうしようどうしよう…とうとう我慢も限界!!!涙まででてきて、もうだめだ~事務局長も何やら泣き声を聞きつけて起きてきてくれました!カッコワル~いくら年をとってるというものの、まだまだ心は乙女です…いやあ~!!!たすけてくれ~!!!結局自動車に飛び乗って「茶碗祭りの館へGO!!」助かりました!でもこんなこと何時までも続きません…やっぱりこの家のチョウ~こわ~いおトイレは使わなくてはいけません!事務局長が洋式の便座を探してくれて、それを乗せやっと行くことが出来ました!うれしくて、来る人来る人にそのことを話している私に呆れ顔の事務局長でした……へえ~だ!

ひきもこり?生活!2007/3/23(金) 午前 9:52

地元に引越し、小学校を貸してもらえるまで、自分たちの思いを話しに歩くこと以外には待つことしか出来ない状態で、毎日を悶々と過ごしました!
4月には学校で花見をしよう!といっていたのですが、そんな気にもなれず、昼間は閉じこもって、パンフレット作りをしたり…今までとまったく違う生活!もしかしたらとてもあこがれていた生活です。朝だって起きた時点が朝ですし…時間の制約や仕事がないことがどんなに自由で楽で…でもさびしくて不安で、膨大な時間をどうすごしていけば良いのか?…悩むものだとは考えも及びませんでした。幸い、夜になると、あちこちに説明に歩く毎日だったのでまだましだったのですが…今までになく、食事つくりに専念したり、テレビのワイドショーや再放送の今まで見られなかったドラマや、昼メロを知らず知らずのうちに毎日見ていたりして…はじめての経験でした。なぜ、ワイドショーがこんなにももてはやされているのか?とか・・・テレビの通販の番組のなんと購買意欲のそそられることか!…昼メロのドロドロの世界に惹かれてしまうのか?…なんていろいろ考えながら、このままどうなっていってしまうんだろう…という生活でした!どんどん落ち込んでいくし、まったく外には出たくないし、引きこもり?…こんな感じなんだな!テレビと友達になるしかないわな!…と実感した日々でした。なんかしないと気がおかしくなる!と思ったので、絵を描き始めました!油絵とか水彩画とかは用意が大変で、場所が必要になるので、ポスカやサインペン・マジックを使った小さな作品です!現在(平成19年)はこの時の絵が私たちの学校を飾っているのですが…おかしくなりそうな気持ちで描いたものばかりです!そんなこんなで、私たちの引きこもり生活は続くのです!

出会い!2007/3/23(金) 午前 10:33

毎日、悶々とした引きこもり生活!そんな中、いろんな人たちがこの家に訪ねてきてくれました!この家を快く貸してくださった人!(自分で焼いたケーキを持って)…今日は天気がいいからとドアを開けたとき、「しいたけをとってきたから食べるか?」と巨大なしいたけを下さった人、わざわざ「何か手伝うことがあったらいつでも言って」とたずねてくださった人、古い家で、配線がとても大変なところを直してくださった電気屋さん、「パンフレットがあったら置いてあげる!」といってくださった文房具屋さん、お風呂を入れるようにしてくれて、水道管の破裂を防ぐ材料まで置いていってくれたガス屋さん、夢を持ってこの余呉に移って大工の学校を作ろうとしている大工さんや自称野良人(のらびと)…そうそう忘れもしません、理事長の私がこれ以上落ち込んではいけないとこの殺風景な家に真紅のバラを何本も抱えて、地元のおばさん方にじろじろ見られ、恥ずかしそうにやってきてくれた理事…書き並べられないくらいの人たちに助けられました!少しずつ、やる気も戻り、やっぱりここで!この丹生でやっていく!という思いを固めていったのです!玄関には百均のお店で買ったボードに「特定非営利活動法人 子ども自立の郷ウォームアップスクール ここから」とマジックで書き、私たちの始めての表札もかかりました。学校が貸してもらえるまでここでがんばるぞ!…と久々に晴れ間を縫って、初めて丹生やその周辺をサイクリングにでかけたのでした!途中、町内の人に会って挨拶をすると快く挨拶を交わしてくださる人があったり、見たとたん家の中に引っ込んでしまう人など…さまざまですが、すばらしい緑の山々に囲まれたこの丹生は、この余呉はすばらしい!!!と改めて感動していました!そしてこんな気持ちの弱い不安定な理事長の傍らにはいつも事務局長がいてくれました!感謝!!!

雨が多くて!2007/3/23(金) 午前 11:10

この年、本当に雨が多くて。来る日も来る日も雨・雨・雨…とっても心配…
何が心配って?
この借りたお家、実は一階のひさしが昨年の大雪で折れて、かろうじて引っ付いているという代物…こんなに雨続きでは腐って落ちてしまうのでは?…落ちたら私たちの車は下敷き!…へへっ!!そんなことはないやろ!と口にしながら、毎晩眠るときは下敷きの図をちょっと思い描きながら…爆睡でした。しかし、とうとう恐れる事態が…
ある日の早朝、外はしとしと雨の音、まだ真っ暗です…ドッシーン、ズドドーン!!!地響きです!!きた!!!おおっ、きたきた!落ちたか…あ~あ…どうせ落ちたんなら朝でもいいか!みんな起きてこないし!(このときこの家には3人いて、後にわかったことですが、みんな同じ気持ちだったようでした)
朝が来ました覚悟を決めて、表を見に行くと大丈夫!あれ?????3人とも顔を見合わせて「落ちたよね?落ちた!」裏へ回ってみると、裏の道が屋根の残骸で通れなくなっていました!実は、隣の空きやの屋根が落ちたのでした!この家に入るとき、この家よりも頑丈そうに見えていたのに…人が生活している家には力があるが、人がいなくなった直後から急速に朽ちていく!という話を聞いたことがありましたが、まさにそのとおりでした!しかし、この家ももしかしたら・・・危ない危ない!怖い怖い!3人が同時に同じことを考えながら、口に出すと、起こりそうな気がして、早速、お隣の家のもち主に電話するやら、片付けるやら、自分の家のひさしをじっくり見に行くやらでした!ギャグマンガのようなことも起こってしまう丹生生活です!

契約!2007/4/23(月) 午後 1:48

気持ちのドン底の4月、すったもんだの5月を越えて、正式に町と契約をやっと済ませたのは6月2日!!!やれやれ…やっと丹生小学校が私たちに貸してもらえることになり、鍵もいただきました!やった~うれしい!今までのもやもやもすっかり吹っ飛び、毎日学校の中をお掃除!保護者の方々や、私たちの仲間がせっせこせっせこきれいにしてくれました。以前「二十四の瞳」のドラマのロケがあった学校で、アルミのサッシや機械類にはみんな絵の具が塗っていて木に見えるようにしてあったので、何度も何度も拭きました。
少しずつ、眠っていた学校が目を覚ましていくのがわかりました。最初「学校の怪談」の様相を呈していた空気も晴れて、人が足を踏み入れるたびに明るくやさしく輝いていくのがわかりました。ただ、学校ですから、部屋はたくさんあっても、住むようには出来てないので、ひろーい部屋を間仕切りしたり、台所やお風呂も作らなくてはなりません…私たちには先立つお金はないため(情熱だけは人一倍持ち合わせているのですが)、事務局長や仲間が、全部手作りで準備をしていかなくてはなりません。また、設備も備品も新規に買い揃えていたならば、いくらあっても揃いません!困ったなぁ~!でも今は便利な時代リサイクルショップというのがありました!いままでのぞいたこともなかったリサイクルショップですが、背に腹は変えられず何軒も何軒も見てまわり、揃えていきました!その人に入らなくなった余分の品も必要な人にとっては、宝の山!!前使っている人がいたからこそ、一つ一つの品にも、物語があり、それを思い描きながら使っていくことも、なかなかおつなものです。今思えば、私たちがこの学校に来たように、来るべくしてきた、何かしらの運命のようなものを感じずには入られませんでした!

カメムシの楽園!2007/4/23(月) 午後 2:19

この余呉に来て一番困ったのは、虫の多いことです!私は虫が特に大嫌いです!蚊が一匹部屋にいようものなら撃退してからでないとくつろぐことも出来ません。なのに…なのに…ここはカメムシが特に多いのです!カメムシって?見たことがなかったので、学校を掃除したときに出た、バケツいっぱいの(1杯ではなく、いっぱい!ぎょうさん!すごーい量!のこと)カメムシには面食らってしまいました!この学校は木造でいたるところから風が吹き込みます。カメムシもいたるところから自由の出入りしている…いわゆる…「カメムシの楽園」といったところでしょうか!まあ、刺したりするわけではないので、どうってことないっちゃぁ、ないのですが、カメムシ君たちご機嫌が悪いとものすご~いにおいを発するのです!私はこのにおいは初体験だったので、田舎の草むらのにおいや、若竹のにおいに似ていると思ったのですが、そのことを事務局長や仲間に言うと「その鼻ぜったいにおかしい!」と一掃されてしまいました!いいことを思いついて、掃除機で吸い取ったりもしましたが、掃除機の中で「がさがさ」動きながら強烈なにおいを発するため、掃除機を運転させるとそのえもいわれぬにおいが部屋じゅうにまきちらされ、なかなかなものです!地元の人にどうしたらいいかと相談したら、ビンに灯油を入れてその中に落とすと一発でにおいも発しずにオダブツとなる!と教わりました。事務局長が発明家で、虫嫌いの理事長(私)にも簡単にカメムシが取れる「カメムシ撃退キャッチャー」(ペットボトルの中に灯油をいれ、口に窓の湿気とり用のスクイージーを取り付けたもの)を作ってくれました。まあ面白いように取れるのですが、怖いもの見たさの私は、灯油の中に落ちた断末魔のカメムシたちの様子が気になり覗いては気持ち悪がったり…毎日きゃ~きゃ~いいながらカメムシの楽園で共存していくこととなりました!

初めてのお泊り!2007/4/23(月) 午後 2:56

忘れもしません6月の28日です!やっとお掃除も終わり、少しずつ荷物も持ち込みながら、夜は丹生の家に帰る毎日でしたが、温かくなってきたので「泊まってみたい!」という一同の声で、初めて学校に泊まってみる事にしました!夕ご飯は、カセットコンロで作り、机が無いので床に座っていただき、布団も何もないので、みんな寝袋持参です!うれしくて初めてキャンプをしている子どものように大の大人がはしゃいでしまいました。「この部屋は…に使おう!」「子どもが来たらここでこんなことさせたい!」とか「こんなこともできるよね」…と夜遅くまで話し込んでいました。私たちの仲間は、みんな楽しむことが好き!人生がんばるところはがんばって、いやなことがあってもその中に楽しみを作りながら、笑って過ごしていける最強の人たちです!私はこの仲間に支えられながら生きてるんだなぁ…と実感しています。私は幸せです!
さてさて、学校というのは、子どもが来て学習をして、家へ帰っていくところです。先生が残業しても住んではいません。ですから、あまり夜のことは考えずに作ってあります!ここに電気ほしいわぁ!というところには無く、こんなにいらんやろ!というところがめちゃくちゃ明るかったりして!泊まった部屋は二階の西の端、おトイレは一階の東の端、もよおすと一人では行けず、みんなでダッシュ!距離も50メーター近くあり、運動会の50メートル走に匹敵するくらいのものです。それでも、たのしい!うれしい!不便は山盛りだけど、夢がいっぱいではちきれそうでした。私たちはこの学校が大好きです!これからいろいろな心の傷を負った子どもたちが来る事になるでしょうが、私たちと同じようにこの学校が好きになってくれるといいなぁと思います!不便で大変なことも多い学校生活ですが、私たちの楽しさと温かい心で、文字通りの「子ども自立の郷ウォームアップスクールここから」創り上げていきたいな…と思っています!

サンバーマサノリ号がやってきた!2007/4/23(月) 午後 4:03

余呉だけではなく、田舎には軽トラが多い!ということは前々から知っていた!軽トラは荷物を運ぶのに便利で農作業にはかかせないものらしい!
余呉に来てカメムシ以外に驚いたことがいくつかある!そのひとつに、この地域で一家に一台以上ある軽トラたちは、とてつもなく速い!ということです。乗用車なんか歯が立たないくらい速い!一本道で後ろにくっつかれたくらいなら、追い立てられる!追い越される!どんな血気盛んな人が乗っているんだろうと運転席を覗くと、お世辞にも若くないおじ様やおば様たちが…若い!すごい!こわい!
私は余呉に来てからは、軽トラの前にはならないようにしたり道を譲ることにしています。しかし私たちも余呉の住人になったことだし、農作業はしないけど何かと荷物を載せるには便利ということになり、理事の一人が、自腹を切って中古の軽トラをプレゼントしてくれました!送ってくれた人の名前をつけようということになり「サンバーマサノリ号」となづけられました。(私は物に名前をつけるのが好き!ちなみに私の車のナビは「みるくぷりん」でETCは「いちごみるく」パソコンは「めろ~んまろ~ん」であります)理事のマサノリさん這いやがっていましたが…
この「サンバーマサノリ号」はやっぱりよく走ります!……軽トラ恐るべし!!!!……余呉は高速の木之本インターチェンジからすぐなので、よく利用しますが大型トラックよりもよく走っちゃうのです!ちょっとクッションは悪いですが、万能なのです!まだ荷台に持ったことはありませんが、一回は乗ってみたいなぁと思っています。
そう、いなかには軽トラがよく似合う!でも、一本道の軽トラには気をつけろ! 軽トラをあなどるな!って感じですか…

ここから第1号生登場!2007/5/20(日) 午後 4:40

それはまだまだ、「ここから」の学校に入り始めて間もないころ。高校1年生の良介のお母さんから電話を頂き、「中学から不登校となり高校に進学したが教室に入れなくなって、本人から今の自分を変えたい!今までのようにまたずるずるとして休んでしまう生活に戻りたくない!寄宿生活をしてでも、学校を少し休学してでも変わりたい!」といってるので「ここから」に寄宿生活をさせてほしい!というものでした。
おおー!「ここから」を立ち上げて初めての生徒!!…やったあ~うれしい!!…でもまだ学校は施設の整備中だし、はっきり言って私たちがまだ丹生の家に住んでいて、学校での生活を始めていないし…私たちの信念にのっとって指導をする環境が整っていないし…中途半端に引き受けてもなあ~…ということで断ろうと心に決めて、本人とご両親にあって今の状態と気持ちを話し、あきらめてもらおうとしたのですが、良介はとりあえず見学をした帰りの車の中で、お父さんにやっぱり寄宿をしてがんばりたいと伝えたそうで、本当にこんな状況でもがんばりたいのならということで、とうとう引き受けることになったのです!それから一週間後、我々の共同生活が始まりました。朝、丹生の家で朝食をとり、「ここから」の学校に移動し、とても広い学校の中を来る日も来る日も掃除…昼食は台所がまだ出来ていないので、カセットコンロで作って、唯一座ることのできる職員室で食べました。それからまた作業をして、家に帰り夕食です。おトイレもあの恐ろしいままですし、お風呂も古いところです。良介の家は、とても新しいおうちで、何もかもととのっていて、こことは比べるまでもなく…よくこんなところに寄宿する気になったなあ~と私たちのほうが驚いていたのです……が……びっくりするようなことがおきたのです!まあ今になって思うとちょっと笑えるのですが。

寄宿生活?2007/5/20(日) 午後 6:52

子ども自立の郷ウォームアップスクールここからの寄宿生活は、木曜日から始まり、月曜日の夕方には自分の家に戻る…を繰り返していくというものです。なぜ??寄宿ってずーっと泊まりっ放しじゃないの?と思われるかもしれませんが、子どもになんか問題があるってことは、その家にも問題があるってことで、子どもが寄宿をしてがんばってよくなろうとしても、家が変わらなくては、また家に帰ったら逆戻りになってしまうので、1週間ごとにめんどくさいみたいだけど家に帰り、本当に子どもが変わってきているのかをおうちの人に見てもらったり、「ここから」で少し変わった自分を家で確かめたり、親の存在の大きさや、寄宿で緊張している気持ちを整えたり…預けっぱなしにしてしまうということをなくすために考えたことです。また、そうして1週間に何日か帰ることで、本当に預けて子どもが変わってきているのかをチェックしてもらうということにもなり、私たちには厳しいけど、大切だな・・・ということでそうきめたのです。
私たちの記念すべき第1号生との寄宿生活2週目を過ぎたころ、そうです。毎日毎日雨が降り続き、うっとうしい日でした。良介が木曜日に来たのに金曜日に夕方になる前に「帰りたい」と言い出したのです。ああ~やっぱりホームシックか?やっぱり寄宿は無理だったのか?もしかしたら、何かいやなことがあるのかもしれない?私たちの対応がまずかったのか?……いろいろ聞いてみたのですがどれも違うというし、でもそんなわからないままで帰してしまうのはできなくて…そしたら一番最後に言ったのが、「ナメクジがいやだ!」ということだったのです。????なめくじかあ~…誰にもいやなことはあるとりあえず家に帰して「また来るか考えておいで!」と帰したのです。私たちの中では、本当にナメクジが原因か?という気持ちが渦巻いて、やっぱりどこか私たちの対応に問題があったんじゃないかということに落ち着いたのですが…さてさて……

ナメクジ王子復活!2007/5/26(土) 午後 0:38

それから一週間後、再び帰ってきた良介!!これからどうしたいのか?またどういう理由で帰ったのか?…について話し合いをしたところ、丹生の借りていた家は、古く、降り続いた雨のおかげで、台所や、お風呂にナメクジがやってきては消えていたのです!ある日良介がお風呂に入っていてはじめは姿もなかったナメクジが急に何匹も現れて怖かった…!!ということがすべての原因だったようです!
ナメクジねえ~…ナメクジか~!…ナメクジくらい!…でもやっぱりナメクジはなあ~…
「ここから」にはたくさんの仲間がやってきます。その中の一人に長さんという人(つるべさんを細くした感じ)がいて、長さんは元中学の数学教師!身体を壊してやめたのですが趣味が多く、理科の先生に実はなりたかった人で、星に関することやアウトドアな生活をこよなく愛してやまない人です。また、乗り物の免許を片っ端から取って、観光バスに乗りたい!と挑戦してたりなんかもする人です。ちょうど良介が帰ってきた日に来ていて、この話を聞き、長さんから、「ナメクジの身体は本当は小さいもので、空気中の水分を含んで何十倍にも膨れ上がることが出来るんや!見掛け倒しなやつなんや!」と話してもらったおかげで、少しナメクジに関しても許せるようになり、その日からまた寄宿生活がスタートしたのであります。このことで良介には「ナメクジ王子!」というあだながついてしまったのでした!(こうやって良介の名前や、ナメクジ事件を書いているのは、もう寄宿も終わり高校生活に戻って生き生きとがんばっている本人が書いてもいいから…といってくれたので、書いています。当の本人も今思うとあれくらいのことでと思うが、あのときはきつかった…!といっていました)
寄宿し始めたころの良介は、話しても答えは返ってこないし、話は聞いていないし、どことなく何事にも自信のない様子で、なかなか目も合わせようとしなかったのですが、このナメクジ事件の後からはナメクジにも負けることなく、どんどん男らしく自信を持って生活していきました。いうまでもなく、顔をしっかり上げて目があわせられるし、弱弱しい声がしっかりした声になり、笑顔も見られるようになって行きました。他の人にとっては小さなことでも、自信がなくなっているときにはとてつもなく大きな重大なことと思えたりするものです!心の中の小さなひとつが乗り越えられると、どんどん自信が積み重ねられていって、ずいぶん大きなものになっていくもんなんですね!「ナメクジ王子」はそうして復活していったのです!

さくら2007/5/27(日) 午前 11:49

  • さくら
  • さくら

余呉の春は遅い!
長い長い冬をじーぃっとがまんして、来る日も来る日も降り積もる雪と格闘しながら、暖かな日差しを待つ…という日を過ごすからこそ、やってきた春は全開!!草も木も山も花も本当にふわーと背伸びするかのように伸びやかに美しい!!
私たちの「ここから」の運動場からの風景です!!

私たちの学校「ここから」2007/5/27(日) 午後 0:35

  • 私たちの学校「ここから」

これが私たちの「NPO法人子ども自立の郷ウォームアップスクールここから」が借りて活動をしている学校です!!木造の柔らかなピンクの校舎です。

バイクに挑戦①2007/5/27(日) 午後 5:28

  • バイクに挑戦①

私は理事長50歳!!
自転車もろくに乗れなかった運動音痴です!そんな私が一念発起して何か習い事か?趣味の幅を広げようと思い立ち
結局行き着いたのが、「中型二輪免許をとりバイクに乗りたい!!!」というものです。
うちの事務局長が「カワサキZZR400のフルカウルの黒色」のバイクを乗っていたこともあり、だったら、「カワサキZZR250のフルカウルの赤色に乗る!」と決め、挑戦を開始したのは48歳のときでした。
この年で免許を取るなんて言ったら、絶対に反対されるに違いないと思ったので、家族には内緒で教習所に通いました。
まず、途中で断念したくはないのと、どうしても「赤色のZZR」に乗りたかったので、教習所に申し込みする前にインターネットのオークションで見つけ、岡山までとりに行き手に入れました! もう後戻りは出来ません!やめるわけにもいかなくなった!
こういう風にして、自分を追い込んでいかないと出来ない性格なのです!
これが、私のZZR通称「にゃんこさんバイク」であります!

にゃんこさんバイクって?2007/5/27(日) 午後 8:58

  • にゃんこさんバイクって?

とっても気に入っている私のZZR、なぜ「にゃんこさんバイク」というか?
じつはこのバイクにはお気に入りのステッカーが貼ってあるのです!
白いにゃんこがバイクにへばりついて、落っこちそうになるのを必死に爪で引っかいて、かろうじてひっついているんです!そのけなげな感じがいいのです!大好きなのです! 左の前と右の側面に二匹もついています。
ちなみに赤いヘルメットにも…
だから「にゃんこさんバイク」なのです!!

天然記念物2007/5/31(木) 午後 0:02

  • 天然記念物

私たちの『ここから』の学校の敷地には、池があります!きっと以前には鯉かなんかが泳いでいたのではないかと思うのですが、5月の終わり頃から「ゲロゲロ、くぁっ!」とかえるの泣き声がし始めます。なんかのどか~!ある朝いけのふちを見ると、なんか、見たことの無い白い塊が木の枝にくっついているではありませんか!そばによってみるとなんかふわふわとした泡状のものが!そうこれはあの「天然記念物のモリアオガエルの卵!」ではありませんか!なんか、まだまだこの学校の中には楽しい発見が、いっぱいありそうな予感!!!がする今日この頃です!

何枚あるか、わからん葉!2007/5/31(木) 午後 6:03

  • 何枚あるか、わからん葉!

学校の周りには、いろいろな花や雑草がいっぱい!よくあるクローバーも栄養が良いのか…一本一本が立派なのです!四葉のクローバーは幸福が訪れるとか…でも見つけたのは…7枚、8枚となると?????これは、何枚あるかわからないほど葉っぱがついてる「何枚あるか、わからん葉」です!!!
どんな大きな幸福が訪れるのやら……

おちこんだら、絵!!2007/6/1(金) 午後 2:40

  • おちこんだら、絵!!
  • おちこんだら、絵!!

私は、気分がめいったり、落ち込んだら絵を描きます!絵の具なんかを使うとめんどくさいので、主にポスカや、水彩の色鉛筆、筆ペンなんかを使います!めいることが多い性格なのか何枚も「ここから」に来てから描いてしまいました。学校の玄関の壁や、廊下、カウンセリングルームに飾っています!!へたくそなんだけど、描いているとなにもかも忘れてしまうのです!!ちなみに看板も描いてみました!

学校には大きな時計でしょ!2007/6/1(金) 午後 2:57

  • 学校には大きな時計でしょ!

私たちの学校は、外見はピンク色ですが中に入ると古い木造ならではの豊かな木の色を放っています!
何年も何年もたって、何人もの子どもたちが触って、磨いてきたやさしい木のぬくもりがあります。
角もささくれもなくなって柔らかな丸い曲線を描いています!
やっぱりこういう学校には柱時計がよく似合うと思いませんか?
そうなのです!あちこちを探し回って形だけではありますが探してきたのです。
古くても本当の大きなのっぽの古時計がほしいのですが…まあそうもいっていられないので…
これが私たちの学校の時計です!

廃校の宝物!!2007/6/1(金) 午後 3:20

  • 廃校の宝物!!
  • 廃校の宝物!!

私たちの「ここから」は旧丹生小学校が廃校となり、借り受けたものです。廃校の中にはもう使うことのないものたちが眠っています!その中には、この学校にとって大切な「宝物」もあります。それは、旧丹生小学校の看板と卒業制作のレリーフなどです。本当は壊してしまうはずだったので、きっとこれらの品々も一緒に葬り去られるはずのものだったんでしょう!私たちはこの学校がある限り大切に保管し、飾っていこうと思っています!

校長室の大金庫!2007/6/3(日) 午後 0:39

「ここから」の学校の校長室はカウンセリングルームとして使うことに決まったのですが……困ったことに、校長室には大金庫があるのです。何でこんなに大きな金庫があるの?一人でも二人でもどれだけ力を込めても、びくともしない代物です(高さ1メートル40センチ、幅1メートル、奥行き70センチ)。カウンセリングルームに大金庫はやっぱりまずいだろう!ということになってもビクともしないのではねえ~まあ、ちょっと布でもかけて隠そうか…と思っていた矢先のことです。
ある日、私がこの学校を始めるまで、適応指導教室をやっていたのですがそのときに関わって、元気になり、高校に通っている子と、この春から公認会計士になるために専門学校に通いだした子が遊びに来てくれたのです!「先生、ちょっとまずいんじゃあない?この金庫!どっかにどかせんの?どかしていいんやったらどかしたろか?」と言ってくれて、大金庫移動作戦に取り掛かったのです。 寄宿をしている良介(16歳)と事務局長(体力に自信のある33歳)専門学校生(18歳)高校生(17歳)と若い一番体力に自信のある年代の男性が、4人で思いっきり力を出して汗だくになりながら動かしても隣の部屋へ1メートル移動するだけで精一杯の状態でした。後日また大の男の人が8人でやっと邪魔にならないところまで運んでくれました。
学校の中を使いやすくしていくために、みんなが少しづつ集まっては手伝ってくれています。理事長の私は、力もなく何にも出来ないけれど、本当にみんなに助けられているなあ~とつくづく感謝する毎日です!
良介はここに来て、いろんな人たちに出会っています。同年代の人はいないけど自分と同じように不登校でしんどい日々を送って、でもがんばって回復し、見事に自分の進路をつかみ、生き生きとやっている人たちや、「ここから」に協力してくれるいろいろなユニークな人たち…そんな人たちと、出会い、一緒に動いたり、いろいろな話を聞いたりすることで、今まで考えもしなかったことを考えるようになったり、自信を戻しはじめたのです!たくさんの人に出会い、その一人一人に人生の歴史があり、自分らしく生きようとがんばっている姿からいろんなことを学んでいったのです!
私たちの「ここから」は、こういう出会を大切にしていき、不登校で「ここから」に来ていたこの時期を隠したりすることなく「自分にとって有意義だった」と言えるような寄宿生活を経験させたいと思っているのです! 

母から教わったこと!2007/6/3(日) 午後 2:32

まあびっくり!弟がこのブログを見てコメントをくれました!・・・ということで、家族や親戚に心配をかけてまでやりだした「ここから」ですが!私が無謀にもお金もないのに「ここから」を始めようとするきっかけのひとつには、少なからず母からの影響があります!
私の母は34歳くらいで主人(私の父)をなくし女手ひとつで私と弟を育ててくれた人ですが、まあ芯が強いと言うか弱音をはかない人で、「辛いときこそニコニコ笑って、まじめにやっていたらうまくいく!」と言う人(まだ、元気バリバリで、お習字やなんかを精力的にやっている75歳)です!
そんな母はいつも私がなにか新しいことを始めようとする際に「あなたがやりたいと思っているなら、きっとがんばってやるだろうから、躊躇せずにぶつかっていけ!!あんたならきっとやれる!!」といってくれるのです。時々自分でそういっておいて心配になって「大丈夫か?」と言うこともありますが…まあ、母がもし「やめろ!!」と言っても聞きはしない娘だからかもしれませんが… この母の言葉をどこかでしっかり信じてしまっている私は、母の生き方をも受け継いでいるのでしょう!今までも困ったことはたくさん起きて、いやな問題もたくさんおきてきましたが、そのつど「そう!わたしはきっとできる!」「しんどいなあ~とりあえず楽しくやろう!」「とりあえず笑おう!」…と思っては、すったもんだしながら一つ一つやっつけてきました!母の教えは、今カウンセラーとしていろいろな人に悩みに向き合ったときにも大いに役立っています!今、「ここから」を立ち上げて、海のものやら山のものやらわからん手探り状態の私です!実際とてもしんどいです!これからどうなっていくのやら、不安が付きまとってやみませんが、たくさんの応援してくれている人たちや、本当に「ここから」を必要としてくれる人たちのためにも、また、残りの生涯をかけた私自身のためにもこの母の教えを糧に踏ん張りたいと思っています!(今ブログを書いている傍らで、大工仕事で奮戦中の事務局長のためにも…)いまこそ笑って、苦しんで、楽しんでがんばるときなんだなあ~と感じる今日この頃です!皆さん(かあさん・弟・子どもたち)ご心配かけて申し訳ありません!!がんばる理事長に免じて、応援これからもよろしく!!

うちの校長先生!!2007/6/3(日) 午後 10:15

  • うちの校長先生!!
  • うちの校長先生!!
うちの学校はとても古く、あちこちに穴や隙間があります!おおー!!自然豊か!てはいうものの、なにやらかさこそ!チュチュチュウー…ねずみが走っていてびっくり!これはいけません!アーよく見るとキャンディーかじってる!どうしたもんかと事務局長と相談の結果、保護者の方から猫をいただくことにしました!さあ、なんと言う名前にするか「スニャイパーはどう?」「ひらがげんにゃいは?」「やっぱり学校にいるし、ネズミ退治という使命を帯びたお猫様なので校長先生は?」…結局「平賀げんにゃい校長先生」と言う名前に落ち着いたのです!ちょっとかわいい!!……よろしくだにゃん!

私たちの学校「ここから」2007/6/3(日) 午後 10:22

  • 私たちの学校「ここから」
私たちの学校はピンク色でかわいらしいのですが、実はかなり大きくて前景が写真の中に納まらないのです!だから遠くから取った写真がありますので、見てください!

1ヶ月遅れの桜! 2007/6/3(日) 午後 11:30

学校の裏側に回ると八重桜があり、運動場側のソメイヨシノから1ヶ月遅れで咲きはじめます!なかなかやさしい色の花です。ソメイヨシノも可憐で美しいのですが、八重桜は華やかでなんともいえない美しさで、学校の裏にあるのはもったいないような気持ちになります!
裏側から学校を見ると表側と違って、木造校舎の木の色がそのままで、また、年月を感じさせます!
裏の脇からすぐ山になり、お猿さんたちのとおり道となっています!一本の木に10匹くらい固まって乗っていたり、お猿さんの通り道を見ると、この余呉町の上丹生の村で今どんなお野菜が出来ているのかがわかるくらい、お猿さんたちは自由に村の畑からいろいろな一番おいしい瞬間のお野菜をとって、食べているのです!!……うらやましい!!!!

サンバーまさのり号!2007/6/4(月) 午前 9:59

  • サンバーまさのり号!
以前、書庫の中の「ここから」に書き込んでいた「サンバーまさのり号」です!田舎暮らしには必要不可欠な軽トラなのです!この「サンバーまさのり号」は高速でも田舎道、山道でも頼れる私たちのメイン車両です!

贈呈車両!エブリワゴン!2007/6/4(月) 午前 10:07

  • 贈呈車両!エブリワゴン!
  • 贈呈車両!エブリワゴン!
実はこの5月23日にかねてから申請をしていた「スズキのエブリワゴン」が滋賀県遊戯業協同組合から「ここから」に福祉車両として贈呈されました。とってもうれしい!!送迎車両として使うことにしています!ちなみにこの後部ガラスに書かれているうちの看板は、事務長お手製であります!なんでもできるんだな!…

金庫!2007/6/4(月) 午前 11:13

  • 金庫!

これが、校長室にあった大金庫!
まあ、重いのなんのって……!大人8人がかりでやっと運べたのです!
なにいれようかな??見たこともないが、金塊も入ります!!

プラタナスの木!2007/6/4(月) 午前 11:26

  • プラタナスの木!
  • プラタナスの木!

私たちの学校「ここから」には桜やもみじや松・イチョウ・もくれん・プラタナスなど、大きな木が何本もあります。
その中でも私は、春、急に緑の葉が伸びて、夏になるとどんどん成長した大きな葉っぱがさやさや鳴り、秋にはかわいいボンボンができ、冬には丸裸になってしまうプラタナスの木が大好きです!
ちょっと困るのは葉っぱが散るときです!大きな葉っぱがぼっとんぼっとん落ちてすぐ道が葉っぱでいっぱいになるのです!その中の一本には、幹にちょうど鳥のおうちのような穴が開いていて、何が入ってくるのかが楽しみ!…

ドラえもんがお出迎え! 2007/6/4(月) 午前 11:33

  • ドラえもんがお出迎え!

これは、私たちの学校「ここから」の玄関です!
大きなドラエモンが木のブランコに乗ってお出迎えをしていてくれます!
ドラエモンのようなやさしく穏やかな笑顔でいろんな人と出会いたい…と言う思いから置き始めました!
ちなみに、このブランコは時々理事長が乗っているときもあります!

郵便やさん、ごめんなさい!2007/6/16(土) 午前 10:27

「ここから」の学校に入り始めて一つ、気になることがありました。
実は、うちの学校の校舎は南北に長く東が前面運動場、西が庭を隔てて山といった代物です。学校の玄関は北のはしで、道は南です。
毎日郵便局の局員さんのバイクが入ってくるのですが、郵便ポストがないため、校舎に沿ってバイクを走らせながら、私たちを探して郵便物を手渡し…といった感じでした。まあ1階にいるときは何とか受け取ることが出来ますが、いない時となると校舎に沿って郵便やさんが何往復もうろうろ…雨のときはもう気の毒で…
やっぱり郵便ポストいるよねえ~!じゃあ作ってしまおう!と校舎の中の板切れを使って良介と事務局長が作り始めました。出来れば大きいのがいいよということでがんばって作ってくれました。もうすぐ出来上がるか?というころになって、新たな寄宿生もやってきて、一緒に完成させてくれました!頑丈なポスト!きっと「ここから」がある限り、そこにあるであろう「第1号の製作物」になりました。 取り付ける段階で、まっすぐに打ち付けてくれたはずなのですが…なんかななめに傾いているようで・・・やり直そうか?と良介たちは言ってくれたのですが、なんか手作りって感じですごくかわいいよ!郵便ポストの前にきたらなんか、みんな首を傾けてしまうような、なんだかぷっと笑えるような傾きで、なかなかユニークでいいね!……とそのままになっています!
さあ、郵便やさんはどうだろう?ちゃんと入れてくれるかな?ポストってわかるん?くびかしげるかなあ~?……と待っていると、来た来た!!おお~いれた~!入れるとき首傾げてるよ~!ということで、わが校のポストの出来上がりです!
まあ、一番最初に入った郵便物!なんだと思いますか???請求書なんかが入っていたら縁起悪いね!……実は一番に入ったのはハガキそれもエアーメールで、2通だったのです!1通は、今まで関わったことのある高校生が、オーストラリアに短期ホームステイに行った先からくれたものです!もう1通は元中学校の校長先生で、私の恩師、退職後アメリカ・カナダとバイクで1周していて、その旅先からのものでした!……請求書じゃなくてよかった!なかなか縁起良いよね!!!
これから、この学校がある限りこのポストで行きます!ポストさんよろしく!!!

ちょっと斜めのポスト!2007/6/16(土) 午前 10:37

  • ポスト
  • ポスト

みんなで作ってくれた郵便ポストです!この傾きがいいんです!来た人みんながこのポストを見るたびに、ポストの傾きに合わせて首を傾けてしまうのが不思議です!

悲しいこと…2007/10/11(木) 午後 5:32

しばらく、ブログを更新できませんでした。
実は、私たちの「ここから」を本当に心から応援してくださっている方のお子さんが、突然亡くなってしまったからです。
いろいろな複雑な気持ちがあったんだろうと思いますが、結局のところ誰にもそのときの思いはわからず、残されたものに悔いや後悔、かなしみや無念さ、さびしさという大きな大きな宿題を投げかけ、旅立っていってしまいました。
まだ亡くなって3ヶ月、ご両親や親族の思いは、想像を絶することと思います。
私たちに出来たことがまだいっぱいあったんじゃないのか?
これから、私たちに何が出来るのか…?
考えて考えて来ましたが、いまだに答えは見つかりません。
ただひとつ重要なことは、こういう悲しい出来事を少しでも減らすことが出来たら…
その為にわたしたちのできることを一生懸命にやるということです。
悔しいけれど、なくなった命は帰ってきませんが、その子が残していった宿題を忘れずしっかり受け止め、考え、今後に生かしていくことだと思っています。
いままでに、関わった子どもの中には、自由になりたいと家出を繰り返す子、何度も自分を傷つける子、死にたい・・といって未遂を繰り返す子がいましたが、そのつど命の尊さを説き、思いとどまらせてきました。今後も少しでも助けたい!
人は生きている限り、好むと好まざるとに関わらず、死というものに向き合っていかねばなりません。できれば、最後の最後まで、自分らしく生きて、生きていることを楽しんでいきたいものです。
せめて、将来のある子どもたちには、生きてるってしんどいけれど、楽しいこともいっぱいあるよ!しんどいとき、誰かに助けてもらうことは恥ずかしいことではない!と教えていきたいのです。
まだまだ、私の中でも宿題が続いています。だからこそ、力は余りありませんが、「ここから」を少しでもたくさんの人に知ってもらうために又、ブログを続けていこうと思います!

おふろ~(・0・)2007/11/2(金) 午後 4:54

私たちが生活し始めた「学校」には、キッチンもお風呂もありません
食事を作るのに、カセットコンロを机の上において、手洗い場で洗いものといった具合でした。
ある日、以前ボランティアをしたいといってくださった、余呉の方に相談すると、展示品で、お風呂とキッチンがあるから交渉してみたら?…と余呉の会社の社長さんに紹介をしてくださいました。古い品ですが、システムキッチンを2組と、ユニットバスを1台、洗面台2台を本当に、本当に安価で分けていただくことが出来たのです!自分たちで運び、自分たちで組み立てるという条件で、やっと私たちの学校に、お風呂とキッチン・洗面台がやってきたのです。
人と人のつながり(コネクション)というものに、本当に助けられ、この学校に移り住んで2ヶ月、調理室にキッチンとお風呂が出来上がりました。ここでうちの事務局長と私たちの仲間のIT部長がまたまた腕を揮い、水道工事や電気工事をしてくれて、完成!
水が出ては大騒ぎ、お湯が出てははしゃいで、お風呂にはじめて入れた日はうれしすぎて湯あたりするほど感動して長い間入っていました。
今まで自分の家で、水が出ることに一喜一憂し、お風呂に入れることに感動するなんてことは、一度もありませんでした。昔々はきっとこんなだったんだろうなあ~今では当たり前と思えることにも、みんなで喜んだり悲しんだり、協力したりして、しっかり自分たちの生活をはぐくんできたんだな~こういうことが、今大切なんじゃないのかな?
このころ、寄宿していた子どもたちは、私たちとこの大変さを…又喜びを一緒に感じ取っていました。私たちは、こんなにいろいろな人に励まされて、温かい気持ちを受けて生活している!自分たちの生活は協力して、苦労して勝ち取るのだということも感じてくれたらうれしいと思っています。「ここから」では、こうやって、寄宿の子どもたちを子ども扱いせずに、一緒に生活をする仲間として付き合っていきたい!大人も子どももしっかりガッツリ四つに組んで、生きるということを学んで欲しいと思っています。

学校の図面2007/11/2(金) 午後 5:36

学校を生活しやすいように、整えていくと同時に、又新たな火種が持ち上がっていました。 私たちの「ここから」は、不登校の子どものための施設です。やっていることは、小学校から高校生までの子どものこころを癒し、力をつけ、再び社会の中に戻していくための指導です。私たちの中では、「既存の学校」ではないが、「本来の生きる力をつけるための学校」であるととらえています。でも、法的な学校としては認められず、「寄宿舎」という枠組みに入るんじゃない?と消防署に言われ、県の土木からは、この学校を使うにあたり、防火壁をつけることや、天井に防火板を貼ることや、下水道をつないで、水洗便所にしなくてはいけない、この学校の立面と平面の図面を提出しなくてはならない等、怒涛のようにやってきたのです。
私たちがこの学校を借り受けたとき図面はない!といわれていたので、何度も何度も役場に探してもらうように頼んだのですが…結局出てこなくて…自分たちで作らなければならなくなってしまいました。この図面というのが曲者で、学校という大きな建物の実寸を図ったりするのは言うまでもなく、壁の中にたっている柱やその素材など全部を綿密にはかり、作らねばならないものなのです。
普通の家でも設計技師に頼んですごい費用がいるのに、ここは「学校」二階建てで、全部で17部屋です……考えるだけで、鳥肌が立つ…むむむ…がーん!!!!!!!!!!どうしよう……
そうこうして困っているときです。キッチンやお風呂をいただくことになった社長さんが、「ほかに困っていることはないか?」と聞いてくださったので、即座に、お金もないのに、学校の図面を作らなければならないことや、そんなことを請け負ってくれる設計技師がいないし、知らない!ということを伝えました。その社長さんは、キッチンやお風呂を運んでいる私たちのそばで、「そんなら、知り合いに頼んであげよう!」とおっしゃって、即座に知り合いの設計技師さんに電話をしてくださいました。何たること!こんなに悩んでいたのにいとも簡単に……いいんだろうか?…こんなに甘えてしまって…でも、お金がないんだよ私たち!うれしいけれど、高くても払えないよう~…こんな私たちの不安をよそにどんどん話が進んでしまって、運び終わって学校に帰ったころには、その設計技師さんがやってきたのです!…はっやあ~!

なぞの設計技師さん 2007/11/3(土) 午後 5:54

その、なぞの設計技師さんは、私たちが学校に帰ったころには、駆けつけて来てくれました。いろいろ説明はしましたが、最後まで金額のことはおっしゃらなくて、力になりましょう!といってくださったのです。うれしい!どうしよう!こまったなあ!…どっきん!どっきん!心臓が早鐘をたたいて、いまにもとびだしそうです…
それから、何度も何度も学校に来てくださって、ついに平面・立面の図面が出来上がったのです!
私たち素人が見ても大変だったであろうと思える出来立ての図面を目の前にして、私たちは、涙がこみ上げてくるのを押さえられませんでした。
この学校を始めようと思ったときから、よく泣くようになったな…と思いますが…よくよく考えると、悲しくて、悔しくて泣いていたときよりも、人の温かさや優しさに泣いているときのほうが多いような…普段は男だからと絶対泣かなかった、事務局長もよく泣くようになっていました。(ナイショ)
なんと、ここで金額は申しませんが、それはもう・・お金をこんなところにはかけられないでしょうから…と言う設計技師さんのお気持ちで、通常の十分の一の破格の値段で、ゼロがたりないんじゃあ???…請求書を見て、何度も見直して又二人泣いてしまいました。
なんか、この「ここから」をやろうと言い出してから、何度も大きな壁が私たちの前に立ちはだかりましたが、いつも、誰かの力のおかげで乗り越えられているような気がしてなりません!どの人も、「先生のしようとしている事、応援しているから…」といってくださって、そのたびにすごいことを手がけようとしているんだな…と引き締まるような思いを新たにしています!
設計技師さん、ほんとうにありがとう!!最後の最後まで、何でそんなに良くしてくださるんだろう???となぞのままの優しい素敵な設計技師さんでした!
まあまだまだ、私たちには残されているでっかい壁があちこちにありますが・・・
どんなときも一人で生きることはできない!誰かの世話になって生かされてるんだなあ~
こういう人と人とのつながりの温かさを、「ここから」に来た子どもたちには感じ取ってもらいたい!そして、そのつながりを大切に出来る人に育ってもらいたい!と思っているのです!

網戸の作れる高校生2007/11/7(水) 午後 1:14

「ここから」に寄宿した子どもたちは、まず、家にいることで狂ってしまっている生活を規則正しい生活に変えていくことからはじめます!朝、自分の力で、起き、一緒に朝ごはんを作り、食べ、後片付けをするといったことから1日が始まり、いろいろな作業や活動を、私たち指導するものと全部一緒に行います。
夏のことです!ここは自然の豊富な余呉です!夜になるととても涼しく、窓を開けるときっと風が入ってくるのです。でも…山々に取り囲まれたここは、とにかく虫が多いのです!そしてどの虫もとても大きく、強いのです!だから涼しくなるとわかっていても窓が開けられないのです。学校には網戸はないのです!
そう!網戸にすれば…ということになり、買いに行きましたが、学校の窓は形も寸法も通常のものと異なるため売ってないので、作ることになりました。まあ、学校というと窓が多いところです。全部の窓に片方ずつ付けたとしてもかなりの数なのです。とりあえず、夜いる部屋に付けようと、みんなで網戸作成に取り掛かりました。窓の大きさを測り、枠を切り網をはさんではみでたところをきりとり、出来上がりなのですが、なかなかうまくいかず、枠を切りすぎたり、網がうまく押さえられなかったりで、すったもんだしながら1枚1枚出来上がっていきました。枠がゆがんでいたりで出来上がりはいまいちですが、又、私たちの学校「ここから」に網戸が加わったのです!
寄宿をしていた子どもたちも、1枚作るごとにうまくなって、最後のほうには、15分くらいで作ってしまって、…もし困ったら、網戸つくりのバイトが出来るなあ~…いまどき、網戸の作れる高校生っていないよね!それってすごくない??
今は、何でも買えば手に入るものばかり…又、全部出来合いのもので、形は美しいですが、やはり一手間かかった手作りのものにはかないません!出来上がったものを見るたびに、ああ、あの時あの人と…と、いろんなことが浮かんできて、少しいびつになっていてもとても愛しくなるからです!時間もかかるし見栄えは悪くても、手作りにこだわって行きたいなあ…と思っています!網戸を見るたびあの高校生の笑顔が浮かんできて、にゃっとなってくるのです!

いいこと考えた…っと! 2007/11/7(水) 午後 2:29

私たちの学校、何度も言いますが、昼間用に出来ているのです! 夜になると、暗い!本当に暗い!いや…半端なく暗い!!そりゃ、しゃーないわ…山の中の学校やもん! 夜になるのも、山が近いせいなのか、早いのです!真っ暗の中を電気のスイッチをさがして、手さぐりで歩かなければならないのです!電気をつければいいのですが、何せ、広いし、夜おトイレ行くたんびに、全館電気をつければ電気代がオッソロしいことになるし… なんかいい考えなーい??大きな電灯を使わなくても明るくする方法???外より暗いぞ!…なんて、ぶつぶついいながらいろいろ考えていました!ろうそくは?ちょっとロマンティック!…でもあぶない!!懐中電灯をあちこちにおく?すぐどっかにいっちゃうよ…!! ある日、いろいろなものを買出しにホームセンターに出かけて、見つけたのです!園芸用品売り場で! そうです!ソーラーのライトです!庭なんかにさしておいて、夜になるとひかりだす!あれですあれっ! 学校のろうかは外とおんなじ!窓もたくさんあるし、昼間に太陽の光で蓄熱しておくだけで、夜は明るい勝手に光りだす!すっごーい!これぞ省エネ!…エコですエコ!…いいこと考え付いたでしょ?ソーラーのそのライトは、1個400円程度それも特価で170円…買いですよ!これは…ということで、私たちの学校の廊下には、ソーラーのライトがいたるところにくっついていて、暗くなるとあちこちで光っています! 困って初めて、思いつく!すごいな!…時々役に立つ理事長なのでした。 理事長のこんな思いつきに、わが事務局長は振り回されて、あちこちにライトをつけて回ってくれました。ごくろうさまです! でもその後、事務局長が古い電灯をみんなはずし、新しい電気の食わない電球に全部変えてくれたので、そのソーラーライトは、あまり長く活躍することはありませんでしたが… 近所のお年寄りから、学校に電気がともっていると、ほっとするわ!といってもらっています!そんなこんなで、私たちの学校は今では明るいのです!

あとがき

最後までお読みいただきありがとうございます。

子供が不登校など何かしら悩みを抱えている親御様。
学校になかなか行けず、でもどうにかこの状況を変えないといけない
とお考えのお子様などに読んでいただければ幸いです。

今後も、一人でも多くの子どもたちを元気にしたいという想いを胸に、
歩みを止めず、邁進させていただきます。

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